初めての海外出張(4) 1986年7月2009年10月15日 23時46分40秒

ELSヒューストン校には日本人は2名しかいなく、ビデオ撮影は簡単でした。私が訪問した時、地元の警察官がゲストスピーカーでこられ、アメリカの法律や生活上の注意点などを説明されました。また子連れの生徒のために学校内に託児所のような施設(教室)があったのが印象敵でした。ELSヒューストン校はその後大学のキャンパス内に移動しましたが、スペースシャトルの宇宙飛行士であった毛利衛さんもここで英語のトレーニングを受けたと聞いています。 ヒューストン校の撮影を終え、ディレクターの運転で空港に向かいましたが、渋滞のため、空港へはぎりぎりのタイミングで到着しました。 ヒューストンからは確かメンフィス経由でワシントン,D.C.に到着しました。空港にはELSワシントン校の校長が迎えにきてました。すぐにホテルへ移動する予定でしたが、私のスーツケースが出てこず、空港職員に滞在先を告げて空港からホテルへ移動しました。その夜はディレクターと彼女のボーイフレンドと一緒に日本レストランに食事に行きました。話を始めると、彼女が日本の滋賀県出身であると聞かされびっくりしました。子供のころは、滋賀県の竹藪の中でのどかに遊んでいたとのことでした。何十年も前のことで、日本語はほとんど忘れてしまったとのことでしたが、私の日本語を理解することはできたようです。

翌日、ホテルから学校に行くと、私の荷物が空港から届きました。ELSワシントン,D.C.校はELSランゲージセンターの中で最初にできた歴史ある学校でした。アメリカ国務省のバックアップで、言語学者で有名なE.T.コーネリアス博士によって設立されたと聞いていました。コーネリアス博士は、English 900やIntensive Course in Englishなどの英語教材の開発者としてとても有名でした。1997年頃に大阪でお会いした際、私がアドバイスしたバイノーラル(立体)録音を使った「Magazine USA」という教材を日本で販売されました。構造言語学の理論を用いて作成された教材を使い、設立されたELSランゲージセンターの本校というべきワシントン,D.C.校を見学するのはとても興味はありました。しかし行ってみると古いビル1棟が学校になっていましただけでした。中に入ると、どういうわけか、アラブ諸国からの学生でいっぱいでした。日本人は企業から派遣された数名だけだったと記憶しています。のちのこのビルは豪雨の際に水害にあい、長い間クローズしたとのことです。 ここでも簡単にビデオの撮影を行い、ディレクターに空港まで送ってもらいました。ワシントン,D.C.を出発し、ロッキーの町フィラデルフィアへ移動しました。 つづく

今朝の体重78.6kg 夜の体重78.2kg 今日は週末からのカナダ出張の準備のため残業、ジムには行けず。

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