バレエ留学2009年10月01日 16時30分14秒

1982年からアメリカを中心に留学手続を行ってきましたが、大半の学生は、語学研修、高校、大学へのアカデミックな留学でした。6年前にはじめてバレエ留学のお手伝いした高校生が、カナダ、アルバータバレエ団で正式団員となり、その後多くの学生のバレエ留学を行ってきました。 今年(2009年)は、1月にカナダナショナル、ロイヤルウィニペグなどのオーディションの同行、2月はユースアメリカのサンフランシスコ予選とアナハイムバレエの訪問、3月はバレエビクトリアとアイランドダンススタジオのバレエ講習会、4月はユースアメリカのニューヨークファイナル、5月はロイヤルウィニペグバレエスクールの卒業式参加、8月はアルバータバレエのサマースクールの同行と、すでに6回バレエ留学に関係する出張が続いています。

今月10月17日からもカナダナショナル、ロイヤルウィニペグ、アルバータバレエなどのオーディションに同行します。興味のある方はwww.admission.co.jp/balletAd.html をご覧下さい。

日本人の技術力はとても高く、毎回有名スクールへ合格者が出ています。そのおかげで、有名スクールの校長と懇意にさせていただけるようになりました。 続く

カナダ留学フェア20092009年10月02日 13時37分35秒

カナダ大使館主催の留学フェアが次の日程で行われます。

10月31日(大阪:梅田センタービル) 11月2日、3日(カナダ大使館:東京都港区赤坂7-3-38)

私はアルバータ州カルガリー市教育委員会のブース(東京)で通訳としてお手伝いすることになりました。

カナディアンロッキーの入口として知られるカルガリー市はオイルビジネスで栄える100万人都市です。カナダの自然と大都市の文化的な生活を体験することができます。

ご興味のある方、ぜひ留学フェアにお越し下さい。 詳細は次のホームページで確認して下さい。

www.canada-ryugaku-fair.com

主催:カナダ大使館

アナハイムバレエ2009年10月02日 20時53分45秒

アナハイムバレエのレッスン

2009年3月1日、ユースアメリカのサンフランシスコ予選の観戦の後、ロサンゼルスに移動し、アナハイムバレエを訪問しました。アナハイムバレエはYouTube、i-tuneで300万アクセス以上の人気バレエスクールです。 ジョンウェイン空港到着後、ディレクターのラリーさんに連絡すると、すぐにレッスンを見学に来ないかと誘いを受け、すぐにレンタカーを飛ばしてスクールに向かいました。アナハイムバレエはテレビドラマ「OC」で有名になったオレンジカウンティのアナハイム市の中心にあります。夕方6時から8時までレッスンを見学し、その後ディレクターに食事に誘われ、スクールとカンパニーの説明を受けることができました。 インターネットを通して世界中のダンサーから問いあわを受けているそうです。スクール生は毎年のようにユースアメリカに出場し、上位入賞しているそうで、ご自身のお嬢さんもABTに所属しているそうです。

4月にニューヨークで行われたユースアメリカのファイナルの会場でもラリーさんと会うことできました。また練習会場に指定されたステップスオンブロードウェイで彼のスクールの生徒と会うことが出来ました。

アナハイムバレエは、これまで学生ビザ取得に必要なI-20の発行が出来ず、日本人留学生を受けることができませんでしたが、近隣の高校と提携し高校に通いながらアナハイムバレエに留学できるようになります。残念ながら18才以上の方は90日以内の短期滞在でしか受入はできないそうです。

ロイヤルウィニペグバレエスクール卒業式2009年10月03日 10時10分30秒

卒業式のパーティで ロイヤルウィニペグバレエのディレクター、教師、校長と

2009年5月、カナダのロイヤルウィニペグバレエスクールの卒業式に参加しました。3年前に教師養成プログラムに入学した生徒さんが卒業することになり、卒業式に招待されました。教師養成プログラムには8人の方が入学したそうですが、卒業できたのはたった2名だけでした。卒業式は往年の有名ダンサーや、ウィニペグ市の商工会議所の役員などが出席され厳かに行われました。卒業式の後に近くのゴルフ場で行われたパーティは現役のダンサーなども参加されとてもカジュアルな楽しいものでした。

私は、彼女が在籍していた3年間に、サマースクールの引率、オーディションの同行などで6回ウィニペグを訪問しました。サマースクール期間中は天候に恵まれとても快適でしたが、1月のオーディションの際は、マイナス45度ととても厳しい寒さが待っていました。

バレエサマースクールの引率2009年10月06日 13時41分29秒

今年もカナダ、カルガリー市にあるスクールオブアルバータバレエのサマースクールに引率者として同行しました。今年で3年連続、これまでに5回同行しました。今年は新型インフルエンザの影響で参加者は例年より少なくなりましたが、15名の学生が参加しました。このスクールはカナダ3大バレエ団の一つであるアルバータバレエ団の付属スクールです。私は過去6年間100人以上の生徒を日本から送り出してきました。毎年8月初旬から約3週間の日程で行われています。私の仕事は、サマースクールの登録手続き、参加者のプロフィール作成、オーディションの手配、宿舎(ホームステイ)の手配などです。期間中は、スクール、教師と生徒間のコミュニケーションのお手伝い、生徒の健康管理(今年は期間中3名の方が風邪をひき、病院に連れていきました)、週末のカナディアンロッキーへの遠足への同行などです。

このプログラムでは、毎年有名講師をゲストに迎え、ゲスト講師から高度なレッスンを受けることができます。今年は、キューバのダンサーをゲストに迎えすばらしい指導を受けることができました。 最終日にアルバータバレエ団のスタジオで行われた発表会では、ゲスト講師から習ったキューバ版「ジゼル」を見ることができました。 アルバータバレエスクールのキルゴール校長、ナンシー校長補佐もこの「ジゼル」を見て感動されていました。 小柄なナンシー校長補佐はこれまでにイギリスロイヤルバレエのダーシーバッセル、現カナダナショナルのディレクターであるカレンケイン、アレッサンドラフェーリなどの有名ダンサーを育てた有名講師ですが、大声で「ブラボー」を連発されているのには大変驚きました。

期間中行われたスクールへのオーディションに5名の方が合格しました。 

つづく

留学エピソード(1) 空港出迎え2009年10月09日 05時23分46秒

昨日お客様の見送りのため、大阪空港に2回行きました。台風の影響で予定便が欠航となり朝6時に空港へ行きカウンターで振り替え便の交渉を始めました。しかし大阪空港の国内線スタッフでは成田空港からの国際線の振り替えはできないとのこと。すぐに市内にある事務所まで移動し事務所から国際線担当者に連絡を取り、事情を説明して今日の便で出発できるようにと交渉しました。このお客様は高校留学している息子様の保護者会に参加する為どうしても今日の便でアメリカに行く必要がありました。幸いにも振り替え便の手配ができたので再度大阪空港へ行きました。空港でお客様を待っている間、これまでこの仕事を通して経験したことをいろいろ思い出しました。

私は12年前に独立するまでは、その当時全米で最大級といわれていたELS Language Centerの日本代理店で16年間勤務していました。たぶん20年以上前の話ですがシカゴに留学した学生のことを思い出しました。その当時シカゴの高級住宅地にあったELS Language Center/シカゴ校に留学した学生の保護者から「空港出迎えがこなかったのでタクシーで学校まで行った」とのクレームの連絡がありました。現地に確認してみると、スタッフからは、確かに本人を空港でピックアップし、学校まで送っていった、とのことでした。 それを保護者に伝えると、「絶対迎えにこなかった」とのことで、再度現地に確認をとると、次の回答がありました。 「同じフライトで日本から同姓同名の学生が搭乗しており、一人は出迎えを依頼し、もう一人は依頼していませんでした。出迎えを頼んでいない学生が先にロビーに出てきて、自分の名前を書いた出迎業者を発見し、出迎えを依頼していないのに親切に迎えにきてくれた、と勘違いしたそうです。」出迎えを依頼した学生は後で出てきて、何時間たっても出迎業者が来ないのでタクシーで学校へ移動した、とのことでした。 このことを先の保護者に連絡すると、「そんなことがあるか」とお叱りを受けました。そこで再度現地に連絡をし、その出迎えを受けられなかった学生から保護者様に連絡をしていただき、事情を説明していただきました。その結果、保護者様も納得していただきましたが、その当時は、ファックス、メールではなく、テレックスを使ってのやりとりで、現地との連絡にも時間が要するものでした。

今日においてもこのようなことはおこりうることで、最近では現地スタッフは本人確認に注意をしているとのことです。 ちなみにこの2人の学生の名前はローマ字では同じ綴りでしたが、日本語(漢字)の名前は異なっていました。

初めての海外出張(1) 1986年7月2009年10月11日 15時07分53秒

私は10月17日から5人の学生を連れてカナダに出張します。ビクトリア、バンクーバー、カルガリー、トロントを訪問します。一昨日、滞在先のホテルの手配をお願いしていた会社のH君が事務所に挨拶に来てくれました。その際H君が、「いつも出張ばかりでたいへんですね。これまで海外出張でいろいろなことがあったのでは」と尋ねてきた。 たしかに今年はすでに1月からアメリカ、カナダに6回出張をしている。今回の出張で7回目になる。「これまでに約90回北米に出張しているので、いろいろなことを経験したよ」と答える。するとH君は「もっとも大変だった出張は?」と尋ねてきた。そして私は、初めての海外出張の話を始めました。

1986年7月、私は成田空港から4週間(28日)の日程ではじめて海外出張しました。目的は、その当時北米で最大級の留学センター、当時全米に24校)であったELS Language Centerを先輩と手分けして各センターでビデオの撮影をすることでした。たしか前年のプラザ会議の影響で86年は急激に円高になり、それまで1ドルが200円以上だったのが、180円くらいに円高になり、その結果アメリカに留学する方が急激に増えてしまいました。私が努めていたELS International Japanにもたくさんの学生が申し込みに殺到しました。会社もこの期に事業を拡大しようと考え、キャンペーンを行いました。私の前任者が行ったキャンペーンがきっかけで、これから始まる「28日間、20都市の旅(出張)」が始まりました。前任者がおこなったキャンペーンとは、「今年の夏、アメリカ留学する方には記念ビデオを進呈」というものでした。キャンペーンが始まった時は、私は大阪オフィスに勤務をしていて、このキャンペーンの内容をしりませんでした。ところが夏が近づく6月になり、突然東京本社へ転勤、そしてこのキャンペーンのことを知りました。しかし、スタッフの誰もがこのキャンペーンの恐ろしさを把握していませんでした。私が転勤をすると同時に、グループ会社から新しい専務が赴任し、すぐにこのキャンペーンのことが指摘されました。「誰が、どのようにビデオを撮影するのだ」と、質問されてもスタッフの誰もが答えることができず、前任者が集客の為に独断で行ったものだとわかりました。そしてすぐに緊急会議が行われ、「誰かが夏休み中にアメリカ各地にあるELS Language Center24校を訪問し、ビデオを撮影してこないと、このキャンペーンは嘘になってしまう」。すぐに私の先輩と私が指名され、2人で手分けして24校を訪問することになりました。その当時まだ家庭用ビデオも普及していませんでしたが、8mmビデオをレンタルして、早速私と先輩が撮影の練習をおこないました。私の先輩は10校、私はバックアップも含め20校訪問することになりました。その当時は、観光や業務出張の目的でも事前にビザの取得が必要で、すぐにアメリカ大使館で申請をしました。 そして、7月後半に私と先輩はアメリカに向けて出発しました。ロサンゼルスまでは先輩と一緒のフライトでしたが、その後私は中学生3人を連れてフロリダまで行きました。つづく

初めての海外出張(2) 1986年7月2009年10月12日 03時00分34秒

ロサンゼルスで先輩と別れたあと、私は3人の中学生を連れ、フロリダへ移動しました。フロリダまでは約5時間位のフライトだったと記憶していますが、隣の席のアメリカ人が私が日本人だとわかると、やたらと「1番、1番」と日本語で話しかけてきました。話してみると、彼の義理の兄がプロレスラーのハルクホーガンという有名人だとのことでした。私はプロレスのことはあまり知りませんが、「1番」というレスラーがいるのは知っていたので、彼からプロレスの話をいろいろ聞いていると、いつの間にかフロリダに到着しました。タンパ空港にはELS セントピーターズ校のディレクターと彼女のご主人が迎えにきてくれました。そしてELSがあるエッカードカレッジへ移動し、学生寮に到着したのが深夜0時をまわっていました。学生寮のスタッフが早速学校の話を始めたので、日本から持参した8mmビデオで早速録画を始めました。翌日は早朝から中学生が参加するユースキャンプの遠足に参加しました。目的地はシーワールド、終日イルカやシャチのショーを中学生と一緒に見学し、またビデオの撮影を行いました。時差ぼけでふらふらでしたが、シーワールドのショーは夜中まで行われ、学生寮に戻ったのは深夜でした。 まさかこれから4週間、時差との戦いになるとは予想もしていませんでした。つづく

本日のRun:5km, 体重:77kg 3年前:98.5kg

メタボとの戦い(1) 20kgダイエットに挑戦2009年10月12日 03時24分25秒

ちょうど3年前、3人の学生とバレエの先生をお連れして、カナダのバレエスクールのオーディションに同行しました。 今から思うと、私の人生でもっとも太っているときでした。その当時の体重は98.5kg、少しビールを飲み過ぎると100kgはこえていたと思います。ウェストも115cm位でした。今日の体重は77kg, ウェストは89cm位です。世間では「メタボ」という言葉がはやりだし、私も「ダイエット」を考えなければと思い始めたころでした。6年前からバレリーナの方を対象とした留学を始め、すでに100名以上の方を海外の有名バレエスクールに送り出してきました。100kgを超える私が、スリムなバレリーナを連れて有名スクールを訪問するのは、今から考えるととても滑稽だったと思います。ダイエットを真剣に考えたのは2006年の1月のオーディションツアーの同行から戻ったときでした。考えたというよりは、「絶対ダイエットしなければならない」ということが起こってしまったのです。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxの為、すぐにでもダイエットを始めなければ、とおもいつつ、その年の12月まで何もすることはできませんでした。行動を起こしたのは11月にカナダナショナルバレエスクールの父母会に参加した後でした。その当時当社からこのスクールに留学していた学生の父母会に保護者に代わり参加した際、トロントのヒルトンホテルのプール(半分屋内、半分屋外で外は雪が降っていました)で泳いだ時、何度泳いでも全く前進せず、ただ浮いているだけでした。これにはとてもショックでした。基本的な身体能力が低下していると感じました。帰国するやいなや、近くのジムに通い始めました。このジムは国体が兵庫県で行われた時に立てられたもので、夏場は、25mと50mプール(各10コース?)、冬場はアイススケートとして利用できます。12月中旬に入会し、それから週3回通い始めました。最初に体重を計測した時が98.5kgでした。それから約2ヶ月、がむしゃらにジム通いをしましたが、一向に体重は減りませんでした。1月にカナダへ出張した際も2月にアメリカのミニタリースクールを訪問した際もホテルのジムでひたすら走ったり、プールで泳いだりしましたが、全くといってよいほど体重の変化はありませんでした。それどころか、無理なトレーニングで膝に水がたまり、歩けなくなり、松葉杖を使って通勤することになりました。2月後半にはバンクーバー、シアトルの出張を予定していましたが、このままでは松葉杖のまま出張しなければならないところでしたが、膝の故障は1週間で回復し、普通に歩けるようになりました。バンクーバーではゴーバレエアカデミーでゴー校長ご夫妻と会い、アナワイマンスクールの校長と会食に行きました。シアトルでもバレエ団を訪問しました。どこへいってもスリムな方々ばはりで、ますますダイエットの必要性を感じることになりました。 ジム通いを始めて3ヶ月目に、いつまでたっても体重に変化がない、とその当時アルバイトをしていただいていた方に言うと、「長年蓄積された体脂肪、内臓脂肪は、運動だけでは簡単にはやせませんよ」と言われました。彼女は元国体の選手で、運動と平行して食事の改善が必要、特に炭水化物をへらすことが重要とアドバイスをもらいました。それから食生活を改善するとすぐに変化が出てきました。すぐに8kgほど減量でき90kgになりました。しかし、3月末から4月にかけ、またカナダへ出張し、帰国すると94kgに戻っていました。5月にスタッフの結婚式に出席することになっていたのでそれまでには80キロ代にしないとと思い、引き続きジム通いと炭水化物ダイエットを続けました。5月の結婚式に参加する際は86kgでした。 それから約3ヶ月ダイエットを続け8月後半には80kg位まで減量することができました。

今朝の体重は79kg、ジムから戻ってくると77kgです。つづく

初めての海外出張(3) 1986年7月2009年10月14日 00時07分02秒

翌日、ELS St. Peters校ビデオ撮影を行いました。スチューデントアドバイザーのトムさんの案内で学校内の撮影、日本人留学生の撮影を行いました。ホストカレッジであるエッカードカレッジは博士課程の取得者が多い大学とのことでした。撮影が終了すると、タンパ空港からテキサス州ヒューストンへ向け出発しました。 ヒューストンの空港ではESL ヒューストン校のディレクターが迎えにきてくれていました。早速ホテルでチェックインした後、スクールを見学し、その後はアメリカ南部の有名なレストランで会食をしました。地元の方の英語の発音は聞き取るのがとても難しく、ウェイターの英語は一切理解することができませんでした。ディレクターに同行してきたスチューデントアドバイザーは夕食の後、車で市内の観光スポットを案内してくれました。深夜に近い時間まで案内され、時差ぼけも手伝って、ホテルに到着した際はくたくたでした。このスチューデントアドバイザーはロシア語が話せるといっていました。その彼とは、それから15年後、ELSサンタモニカ校で再開することになりましたが、その時にはELSの副社長になっていました。 石の上にも3年という言葉がありますが、スチューデントアドバイザー(生徒のお世話係)から副社長への昇進には驚きました。 つづく

昨日の体重:79kg 昨日のRun5km 今朝の体重:78.2kg