初めての海外出張(1) 1986年7月2009年10月11日 15時07分53秒

私は10月17日から5人の学生を連れてカナダに出張します。ビクトリア、バンクーバー、カルガリー、トロントを訪問します。一昨日、滞在先のホテルの手配をお願いしていた会社のH君が事務所に挨拶に来てくれました。その際H君が、「いつも出張ばかりでたいへんですね。これまで海外出張でいろいろなことがあったのでは」と尋ねてきた。 たしかに今年はすでに1月からアメリカ、カナダに6回出張をしている。今回の出張で7回目になる。「これまでに約90回北米に出張しているので、いろいろなことを経験したよ」と答える。するとH君は「もっとも大変だった出張は?」と尋ねてきた。そして私は、初めての海外出張の話を始めました。

1986年7月、私は成田空港から4週間(28日)の日程ではじめて海外出張しました。目的は、その当時北米で最大級の留学センター、当時全米に24校)であったELS Language Centerを先輩と手分けして各センターでビデオの撮影をすることでした。たしか前年のプラザ会議の影響で86年は急激に円高になり、それまで1ドルが200円以上だったのが、180円くらいに円高になり、その結果アメリカに留学する方が急激に増えてしまいました。私が努めていたELS International Japanにもたくさんの学生が申し込みに殺到しました。会社もこの期に事業を拡大しようと考え、キャンペーンを行いました。私の前任者が行ったキャンペーンがきっかけで、これから始まる「28日間、20都市の旅(出張)」が始まりました。前任者がおこなったキャンペーンとは、「今年の夏、アメリカ留学する方には記念ビデオを進呈」というものでした。キャンペーンが始まった時は、私は大阪オフィスに勤務をしていて、このキャンペーンの内容をしりませんでした。ところが夏が近づく6月になり、突然東京本社へ転勤、そしてこのキャンペーンのことを知りました。しかし、スタッフの誰もがこのキャンペーンの恐ろしさを把握していませんでした。私が転勤をすると同時に、グループ会社から新しい専務が赴任し、すぐにこのキャンペーンのことが指摘されました。「誰が、どのようにビデオを撮影するのだ」と、質問されてもスタッフの誰もが答えることができず、前任者が集客の為に独断で行ったものだとわかりました。そしてすぐに緊急会議が行われ、「誰かが夏休み中にアメリカ各地にあるELS Language Center24校を訪問し、ビデオを撮影してこないと、このキャンペーンは嘘になってしまう」。すぐに私の先輩と私が指名され、2人で手分けして24校を訪問することになりました。その当時まだ家庭用ビデオも普及していませんでしたが、8mmビデオをレンタルして、早速私と先輩が撮影の練習をおこないました。私の先輩は10校、私はバックアップも含め20校訪問することになりました。その当時は、観光や業務出張の目的でも事前にビザの取得が必要で、すぐにアメリカ大使館で申請をしました。 そして、7月後半に私と先輩はアメリカに向けて出発しました。ロサンゼルスまでは先輩と一緒のフライトでしたが、その後私は中学生3人を連れてフロリダまで行きました。つづく