海外出張 発表会と卒業式2010年06月01日 15時00分04秒

昨日、アメリカメイン州ポートランドを午前6時に出発し、シカゴ経由で成田に戻ってきました。 今回の出張は4泊6日と短期間でした。5月26日に関西空港を出発し、サンフランシスコに到着。翌日27日朝5時30分に起床し、ユニオンスクェアからゴールデンゲートブリッジまで約15kmのジョギング。帰りは嵐のような大雨にあい、ずぶぬれでホテルに戻る。着替えた後、スターバックスで軽食をとり、サンフランシスコ市のインデペンデントハイスクールを訪問。留学生がお世話になっている担当教師と面談し、その学生の履修科目、評価、単位について説明をしてもらいました。その後サンフランシスコバレエスクールを訪問し、オフィスの担当者と面談。 午後3時、現在サンフランシスコバレエスクールに留学中の学生と会い、早い夕食を取りながら留学生活についてヒアリングを行いました。学校も学生寮での生活も順調と聞き安心しました。その後劇場に移動し、サンフランシスコバレエスクールの発表会を鑑賞しました。 夜10時を過ぎ、楽屋裏から出てきた彼女に別れを告げ、ホテルに戻った時は、朝のジョギングの疲れの為、くたくたでした。

ジョギングをしながら撮影した写真をホームページにアップしました。 http://www.ne.jp/asahi/admission/japan/taiken.html

28日、午前3時45分起床、慌てて荷作りをし、4時半にホテルをチェックアウト。そして6時のフライトでサンフランシスコを後にして、東海岸、メイン州ポートランドへ向かいました。 サンフランシスコを出て、シカゴに到着。ここでワシントンDC行きのフライトに乗り換え、ワシントンDCには予定通り到着しましたが、そこからポートランドに向かうフライトへの乗り継ぎ時間が7分しかなく、乗り継ぎに失敗。悪天候の為、他の多くのフライトもキャンセルがあり、カスタマーサービスの前にはフライト変更の為に、約200人の人が並んでいました。2時間待って、やっと自分の順番になりました。今日のポートランド行きはもうないので明日のフライトを勧められました。しかし私は明日午前10時30分に始まるGould Academyの卒業式に参列する為に来た、と伝えると、このワシントンDC(Dullas)空港から車でリーガン空港へ移動し、そこから21時20分発のUS Airを利用してポートランドに今夜中に到着することが可能といわれる。すぐにその便を押さえてもらい移動することにしました。ユナイテッド航空のスタッフがタクシーのクーポンをくれました。

リーガン空港を利用するのは5年ぶりでした。2人の高校生を連れてワシントンDCの郊外にある高校を訪問して以来で、その時は、早朝のフライトを利用する為、空港に駆け込んだことを覚えています。今回は次の出発時刻まで、まだ余裕があるので安心していましたが、リーガン空港に到着しUS Airのカウンターに行くと、私の予約は確かにユナイテッド航空から入っているが、有料チケットになっているとのことでした。もちろんスタッフはそれが間違いであることはわかっていましたが、その間違いの訂正がコンピューター上でできないので、お金を支払うようにといわれましたが、もちろん自分のミスではないので、支払いを断ると、それからが大変。5人のスタッフが交代で、コンピュータの操作を行い、約2時間待たされた後、私が疲れているのがわかったのかスタッフが水をもってきてくれたりと。そしてやっとの事で新しいチケットを発行してもらい、チェックインすることができました。やはり悪天候の影響か、21時のフライトは2時間遅れの23時に出発、ポートランドに到着したのは午前0時30分でした。予約していたAvisレンタカーは0時に閉まると聞いていたので、レンタカーを諦めようとしましたが、オフィスに行ってみると、他の便も遅れていため、スタッフも残業していました。 すぐにレンタカーを借り、ホテルに向かおうと出発しようとすると、レンタカーオフィスのスタッフがカーナビを勧めてくれました。これまでアメリカで何度も運転したことがありますが、いつも地図をたよりに移動していたので、必要ない、と断り、すぐに出発しました。5年前にもHebron Academyの卒業式に参加したことがあるので空港周辺の地理にはなれていましたので、ホテルまでの移動には自信がありました。しかし空港を出てすぐ道に迷ってしまいました。どうやら長旅(サンフランシスコのホテルを出てからすでに18時間くらいたったいました)のせいか、方向感覚が鈍っていたようです。すぐに空港へ戻り、レンタカーオフィスのスタッフ(幸いにもまだ残業していました)にカーナビを注文しました。ところが、4台あるカーナビの3台がバッテリー切れでうまく使えず、やっとのことで4台目のカーナビを借りることができました。車に戻り、カーナビをセットしてホテルに向け出発、なんと5分足らずでホテルに到着することができました。チェックインして自分の部屋に入るとすでに午前2時を回っていました。

29日、朝6時30分に起床し、すぐに着替えてホテルのカフェで朝食(シリアルとロール)をとりすぐに出発しました。 カーナビをセットしようとするとGould Academyのある39 Church Street, Bethelという住所がカーナビで探すことができず、とりあえずBethelを入力し出発。以前地図を見ながら移動したときは、約90分で到着することができましたが、今回はカーナビ任せで安心して運転していましたが、Bethelの町近くでカーナビの指示がわからなくなり、結局途中のコンビニで道を教えてもらい、卒業式の15分前に到着することができました。

6月1日、朝5時になってしまいました。続きはまた明日。

シンガポールマラソン20092010年02月13日 15時13分33秒

昨年12月に初めて参加したシンガポールマラソン(10km)の公式記録が大会本部から送られてきました。 手元の時計では59分59秒でしたが、チャンピオンチップで正式に計測されたタイムは、59分43秒でした。 来週の日曜日に地元のマラソン(10km)にエントリーしています。少しでも良い結果がでればと期待しています。

最近小中学生の留学希望者が増えています。彼らは、ダンス、テニス、サッカー、ゴルフ、水泳など、好きな道にすすみたいという希望をもっています。

バレエオーディションツアー20102010年01月26日 15時21分35秒

1月22日からバレエオーディションツアーの引率でカナダに出張しています。昨日、カナダナショナルバレエスクールのオーディションに同行しました。朝10時から午後7時前まで1日中オーディションの見学をしました。最終のクラスが始まる前に、メービス校長先生と面談をすることができました。昨年4月にニューヨークで行われたユースグランプリの会場でお会いしてから約1年ぶりでしたが、彼女の部屋に招かれ日本のバレエのことや、現在留学中の生徒のことについて短時間でしたがお話をすることができました。幸いにも今回のオーディションで1名合格されました。これからも多くの方が、海外のスクールやバレエ団にチャレンジされたらと思いました。 今日はトロントからカルガリーに移動し、明日スクールオブアルバータバレエのオーディションです。

初めての海外出張(6) 1986年8月2009年11月16日 22時38分33秒

フィラデルフィア駅をアムトラックで出発して約2時間弱でニューヨーク、マンハッタンに到着しました。駅の構内でELSワグナーカレッジのディレクター、ポールジャレルさんが待っていました。 彼の第1印象は、ちばてつやさんの漫画のキャラクターそっくりでした。とても愛嬌のある表情で私を出迎えてくれました。すぐに宿泊先、確か日本人が経営する「北野屋」に荷物を運び、すぐにELSがあるスタテンアイランドに地下鉄とフェリーを使って行きました。ポールさんはその当時ソーホーに住んでいて、毎日、この地下鉄とフェリーで通っているとのことでした。スタテンアイランドにあるワグナーカレッジに到着するとすぐに学生寮に案内されました。高層階の部屋に通されると、窓から北の方角に、ちょうどマンハッタンが一望でき、フェリー乗り場のあるバッテリーパークの後ろに、今はなき世界貿易センタービル、北西の方角には、エリスアイランドの自由の女神を見渡すことができました。この学生寮からは世界のビジネスのメッカ、マンハッタンが一望できました。 学生寮を見学した後、カフェテリアで食事をとり、その後午後の授業のビデオ撮影を行いました。上級レベルのプレゼンテーションの授業を見学させてもらいましたが、日本人も含め、とてもまじめな学生が多く、真剣に討議していたことを今も覚えています。 学内の撮影後、ポールさんとスチューデントアドバイザーにジョンさんと一緒に学外のレストランに夕食に行きました。とても繁盛しているレストランで、注文をしてすぐにロールがもってこられましたが、注文した食事が運ばれてくるまでに1時間位またされました。その間、ポールさんとジョンさんの会話を聞いていましたが、話題は芸術的なことばかりで、さすがニューヨークのソーホーに住んでいる人達の会話は違うな、と関心しました。

食事が終わったあと、一人でフェリーとタクシーを乗り継いでホテルまで戻りました。途中好奇心がわき、いろいろなところでビデオ撮影をしました。

翌日、ポールさんが終日マンハッタン観光につきあってくれました。世界貿易センタービル、エンパイアステートビル、ロックフェラーセンター、セントラルパーク、タイムズスクェアなど、いろいろな場所を見学しました。

あれから何度かニューヨーク(マンハッタン)を訪れましたが、ポールさんに最初に案内してもらった場所をいつも思い出します。去年、今年、2回ユースグランプリのニューヨークファイナルの時期にニューヨークを訪れましたが、早朝セントラルパークをジョギングしていると、ポールさんにつれていってもらった最初の訪問の時を思い出します。

今回の出張は20都市、まだ5つ目が終わったところ。この後、電車でコネチカット州ブリッジポートに向かいました。 つづく

カナダ留学フェア 2009年11月2日、3日2009年11月11日 03時17分30秒

カルガリー市教育委員会のブース

先週11月1日から4日まで、カナダ大使館の留学フェアに参加する為に上京していました。 今回は70校以上の学校関係者がカナダから来日され、カナダ大使館もこのイベントのPRに力を入れていました。私は10月30日に大阪で行われたこの留学フェアに中学2年生の学生を連れて行きいろいろな学校の案内を聞き、11月2日、3日は、東京のカナダ大使館でカルガリー市教育委員会のブースでお手伝いをさせていただきました。大阪の会場には300人位来場者があったとのことで、とても盛況だったと思いました。 東京の大使館でのフェアは、同じ様にたくさんの来場者があったようですが、70校以上の学校が参加されていたのでそれほど多くの方がこられたようには思えませんでした。しかし、カルガリー市教育委員会のブースでは真剣にカナダ留学を検討している中学生、高校生がたくさん来られました。私の会社では現在8名の中高生がカルガリーに留学中です。カルガリーというとカナディアンロッキーの麓で有名なバンフから1時間の距離にありますが、現在は100万人都市でグレーターバンクーバー(バンクーバー市およびその周辺)の人口と同じくらいです。オイル産業が中新ですが、北米のカーボーイのメッカとしても有名です。 私はこれまでに18回訪問したことがあります。先月も学生5人を連れ学校見学に行きました。毎年8月はサマースクールの引率で約3週間カルガリーに滞在していますが、とても住みやすい町です。カナダの大自然が隣接するカルガリーは大都市でありながらとてもクリーンな雰囲気の町で、たいへん過ごしやすいところです。効率の中等教育のレベルもカナダではトッププラスです。留学先としては、お勧めの場所です。 カナダへ留学を予定されている方はぜひカルガリー市を検討してみてください。

初めての海外出張(5) 1986年7月2009年11月11日 02時54分03秒

ワシントン,D.C.を出発し、日が暮れてからフィラデルフィア空港に到着しました。ELSフィラデルフィア校のディレクターが出迎えに来てくれていましたが、残念ながら空港で会うことができませんでした。タクシーでホテルまで移動しようと待っていると、ベストウェスタンホテルの出迎えバスが来たので急いで乗り込むと、私が滞在するベストウェスタンではなく、空港に隣接するベストウェスタン行きでした。間違ったホテルに到着したあと、タクシーで目的のホテルへ移動。到着時間が遅かった為、食事もとらず就寝。翌朝は、ディレクターがホテルまで迎えに来てくれ、早速学校の見学(ビデオ撮り)を始めました。ここのELSはセントジョセフ大学のキャンパス内にあり、まずは学生寮から見学することになりました。学生寮は2人部屋以外に4人部屋があり、現地の大学生と一緒に滞在することもあるそうでした。大学内の撮影、そしてELSに留学中の学生の撮影も行いました。このセンターには日本の一流企業から派遣されているビジネスマンも多く、熱心に勉強している方が多かったのを今も覚えています。昨日訪問したワシントン,D.C.にはアラブ諸国の学生が多かったのとは対象で、中南米、ヨーロッパ、アジアの学生と、人種はさまざまでした。ディレクターと一緒に学外で昼食を済ませると、夕方に学内でパーティがあるとのこと。ちょうどELS創立25周年を記念してのパーティも兼ねているとのことで参加させていただくことにしました。最初パーティは創立25周年を祝う堅苦しさがありましたが、すぐに雰囲気が明るくなり、あとは学生ののりで、大変楽しいものでした。パーティの最中も私はビデオと写真の撮影で忙しくしていましたが特に中南米の学生がパーティをリードしていたのが印象的でした。

翌朝、ホテルをチェックアウトし、ディレクターにアムトラックのフィラデルフィア駅まで送ってもらいました。この駅は確かハリソンフォードの映画「刑事ジョンブック」の最初のシーンで、駅構内が舞台になったところだったと思います。 フィラデルフィア駅を出て、ニューヨークに向かうまでの車窓からは、アメリカらしい景色(いろいろな工場や古いビル群)を見ることができました。 つづく

子象いりますか?2009年11月10日 00時15分57秒

11月2日、2日は東京のカナダ大使館で「カナダ留学フェア」でカルガリー市教育委員会のブースでお手伝いをしました。現在当社から8名の中高生が留学していることもあり、留学希望者と現地からの担当者の通訳をしました。フェア終了後、当社で留学のお手伝いをさせていただいた2名の元留学生と一緒に有楽町に食事に行きました。 1名は私が18年前アメリカのサクラメントに駐在しているときに実施したホームステイプログラムに兄弟で参加した生徒の友人。彼は当社の手配でアメリカ、ニューヨークにあるELSランゲージセンターで語学留学したあと、大学院でMBAを取得、2年前に帰国し東京で人材派遣の会社に就職。この1年で4階級昇進し、現在は部下が100人以上いるとのことです。今月ボストンで行われるキャリアフォーラムに参加し、優秀な日本人留学生を募集してくるとのことでした。彼が留学中にニューヨークに会いに行ったことがありますが、毎日授業の予習とプレゼンテーション、ディベートの準備で猛勉強をしていました。 もう1名は京都の大学に在籍中にカナダ、バンクーバーとカリフォルニア、サンタモニカに留学していただきました。彼女は現在日系航空会社でキャビンアテンダントとして海外を飛び回っているとのことでした。前日も日帰りでフィリピンに行ってきたとのことでした。彼女のリクエストで焼き肉レストランに行きましたが、彼女はカナダに留学するまでは肉はたべれなかったとのことです。私が、バンクーバーに出張した際、彼女を含め何人かの学生と一緒にシーフードレストランに出かけた際、ウェイターの薦めでビーフステーキを食べてから肉好きになったようです。日本ではできないことでも海外ではできることがあると、このときにもわかりました。 3人で食事をしていると彼女が、タイ人のキャビンアテンダントは、礼儀正しく、裕福な家庭の出身者が多いとのことでした。先日「自宅で子象が生まれたのでもらってください」といわれたとか。日本人でこんなプレゼント、誰がもらいますか。 海外では日本の常識では想像できないことがいっぱいあります。

初めての海外出張(4) 1986年7月2009年10月15日 23時46分40秒

ELSヒューストン校には日本人は2名しかいなく、ビデオ撮影は簡単でした。私が訪問した時、地元の警察官がゲストスピーカーでこられ、アメリカの法律や生活上の注意点などを説明されました。また子連れの生徒のために学校内に託児所のような施設(教室)があったのが印象敵でした。ELSヒューストン校はその後大学のキャンパス内に移動しましたが、スペースシャトルの宇宙飛行士であった毛利衛さんもここで英語のトレーニングを受けたと聞いています。 ヒューストン校の撮影を終え、ディレクターの運転で空港に向かいましたが、渋滞のため、空港へはぎりぎりのタイミングで到着しました。 ヒューストンからは確かメンフィス経由でワシントン,D.C.に到着しました。空港にはELSワシントン校の校長が迎えにきてました。すぐにホテルへ移動する予定でしたが、私のスーツケースが出てこず、空港職員に滞在先を告げて空港からホテルへ移動しました。その夜はディレクターと彼女のボーイフレンドと一緒に日本レストランに食事に行きました。話を始めると、彼女が日本の滋賀県出身であると聞かされびっくりしました。子供のころは、滋賀県の竹藪の中でのどかに遊んでいたとのことでした。何十年も前のことで、日本語はほとんど忘れてしまったとのことでしたが、私の日本語を理解することはできたようです。

翌日、ホテルから学校に行くと、私の荷物が空港から届きました。ELSワシントン,D.C.校はELSランゲージセンターの中で最初にできた歴史ある学校でした。アメリカ国務省のバックアップで、言語学者で有名なE.T.コーネリアス博士によって設立されたと聞いていました。コーネリアス博士は、English 900やIntensive Course in Englishなどの英語教材の開発者としてとても有名でした。1997年頃に大阪でお会いした際、私がアドバイスしたバイノーラル(立体)録音を使った「Magazine USA」という教材を日本で販売されました。構造言語学の理論を用いて作成された教材を使い、設立されたELSランゲージセンターの本校というべきワシントン,D.C.校を見学するのはとても興味はありました。しかし行ってみると古いビル1棟が学校になっていましただけでした。中に入ると、どういうわけか、アラブ諸国からの学生でいっぱいでした。日本人は企業から派遣された数名だけだったと記憶しています。のちのこのビルは豪雨の際に水害にあい、長い間クローズしたとのことです。 ここでも簡単にビデオの撮影を行い、ディレクターに空港まで送ってもらいました。ワシントン,D.C.を出発し、ロッキーの町フィラデルフィアへ移動しました。 つづく

今朝の体重78.6kg 夜の体重78.2kg 今日は週末からのカナダ出張の準備のため残業、ジムには行けず。