2009シンガポールマラソンに参加2009年12月11日 11時15分40秒

参加賞としていただいたメダル

12月4日からシンガポールに出張。シンガポールダンスシアターの見学に行きました。以前カナダのバレエ留学のお手伝いをさせていただいた方が年末の公演に出演されると聞き、訪問しました。 約2000人収容可能な超近代的な劇場「エスプラネード」で12月27日から行われる「白鳥の湖」に参加されます。

彼女に会って今回の目的の一つは達成できましたが、翌日、私の個人的な目的「シンガポールマラソン」に参加しました。今回マラソンの参加は始めてで「10km」に参加しました。朝7時45分にスタートし、約1時間(自分の時計では59分59秒)で完走することができました。気温約32度、湿度95%にはさすがにこたえました。 こんな過酷な気象条件で、日々「スワンレーク」の練習に励むバレリーナには頭が下がります。

8000km 電車の旅(2)2009年12月02日 09時52分00秒

8000kmの電車の旅から戻った彼は、その後日本に帰国し、大手企業に就職しました。現在は日本国内を航空機を使って飛び回っています。 今年彼と会った際、「あの8000kmの旅」を超えるハードルは社会人になってからまだ遭遇していないとのことです。彼は貯まったマイルを使って海外のサッカーの試合に観戦に行き、いつかは夢であったスポーツライターになりたいとのことでした。

彼が通っていた大学の先生が、「Travel」の語源は「Trouble」だと言われてたそうです。旅行にはトラブルがつきもの。私も同感です。 今年の3月、学生を連れてカナダへ出張する際、成田空港は航空機事故でパニック状態。約3時間航空会社のスタッフと交渉の末、翌日のフライトに振り替えてもらいました。 5月の出張の際、あと5分でウィニペグへ到着という時、突然のハリケーンで急遽別の空港へ避難。ハリケーンが過ぎ去るのをまって、目的地に到着。 出発前には予想もしないトラブルや特別な体験をするなど、それが旅の醍醐味ではないかと思います。18年前の湾岸戦争の時、南アフリカ、ケープタウンに出張した際、仕事が終わってテーブルマウンテンに登った時、自分が映画「インディージョーンズ」の主人公であるかのように思ったことがあります。決して私はハリソンフォードのようにかっこよくはありませんが。ただ私が取引先の方とミーティングをした「ハードロックカフェ」はその後テロで爆破されたとのことです。

これまでに学校単位の海外研修や、修学旅行、ホームステイプログラムの引率を経験してきました。私が引率したプログラムではたとえ小学生のグループであっても自分の荷物は自分で持っていくようにと案内してきました。しかし最近の中高生の修学旅行では出発前にスーツケースを旅先に送って身軽に旅行をしていると聞きます。若い時から楽な旅行を経験して、何が得られるのか、と考えさせられます。

つづく

8000km 電車の旅(1)2009年11月30日 17時20分47秒

2000年7月、スポーツライターを目指して、シカゴのELSランゲージセンターに留学していたK君から電話がはいった。 以下は、その時の会話です。

K君「来週から1ヶ月休暇をとります。お勧めの場所はありますか」 私「来週からバンクーバーに出張するので会いに来る?」 K君「はい、行きます」 私「では早急に飛行機の予約をして」 K君「電車で行きます」

そして電話を切りました。私は、K君がシカゴとバンクーバーの距離を絶対に理解していないと思い、後日「やっぱり飛行機で行きます」という連絡が入ると思っていました。しかし私が出張する日まで待っても連絡が入りませんでした。そして私がバンクーバーに到着したとき、私の携帯に彼から連絡が入りました。夕方、シアトル経由でバンクーバーに到着するので迎えに来て欲しい、とのことでした。本当に電車でシカゴからバンクーバー(途中シアトル〜バンクーバー間はバスを利用)に来たのです。バンクーバーのMain駅まで迎えに行くと、げっそりとした日本人がバスから降りて来ました。シカゴからバンクーバーまで約3500kmを約3日かけて電車とバスで旅してきたとのことです。期間中節約の為、ハンバーガーを3つ食べただけ、あとは水を飲んだだけとのことでした。 彼がバンクーバーに到着するまでは、彼の行動にあきれていましたが、いざ彼に会ってみるととても嬉しくなりました。その日の夕方は、バンクーバーの日本食レストランで久しぶりの再開を楽しみました。3日ほどバンクーバーで一緒に過ごした後、彼は今度はサンフランシスコへ向けて出発しました。その後、サンフランシスコ経由でシカゴに戻って行きました。彼の移動距離は約8000km。いろいろな景色を堪能することができたそうです。後日彼から聞いた不思議な話があります。

サンフランシスコに到着後、宿泊のあてもなくユニオンスクェアでボーと座っていると、目の前にどこかで見たことのある留学生らしき人が声をかけてきたそうです。なんと同じELSランゲージセンターに留学している韓国の学生で、泊まるところがないというと、彼が泊まっている宿舎を紹介してもらったとのことです。まさかシカゴから3000キロも離れたサンフランシスコのダウンタウンでまさか会うとは。世の中は狭い、と思ったのと同時に、英語が理解できて良かったと感じたそうです。

ELS Language Centers http://www.admission.co.jp/usagogaku.htm

つづく

CAの来客 2009年11月17日2009年11月22日 11時55分59秒

CAキャビンアテンダント

今日、前回の子象の話をしてくれた航空会社勤務のキャビンアテンダントの友人が3年ぶりに当社に遊びに来られました。彼女も学生時代当社を通じてカナダに語学留学してもらい、現在は日系に航空会社でキャビンアテンダント(スチュワーデス)をしています。航空会社は不景気とのことですが、毎日各地を飛び回っているようです。彼女は学生時代に2回カナダに留学してもらいました。最初は、子象の話をしてくれた友人と一緒にバンクーバーへ語学留学。一度日本に戻り、翌年再度、今度はインターンシップをしたいとのことでした。聞いてみると最初の留学でTOEICのスコアがアップした為、大学で卒業に必要な単位が取得でき、卒業の目処がたったので、今度はインターンシップを経験して就職に役立てたいとのことでした。しかし期間や予算を聞いて、一般のインターンシップは無理だと思い、私が懇意にしているある語学学校でインターンシップをしてもらいました。インターンシップの手続料はいただかず、その代わりに彼女が現地滞在中、私が企画した2つのグループプログラムの現地コーディネートを担当してもらいました。またバレエ留学を希望する学生の現地オーディションなども手伝ってもらいました。その時にオーディションを受けてもらった学生の一人が、今年5月にロイヤルウィニペグバレエスクールを卒業しました。 彼女が帰国して就職活動の時は、語学留学とインターンシップ体験が企業の人事担当者に高く評価されたとのことでした。単に英語を学ぶだけでなく、英語を使って仕事をするのはとても大変なことです。そんな経験を学生時代に体験できるインターンシップはとても意義のあるものだと思います。 そういえば、私も今から30年以上前、大学の4回生の時にインターンシップを1年間体験しました。日本でも英語を使う体験でした。この体験はのちほど紹介したいと思います。

彼女は、インターンシップ中にお世話になった現地のコーディネーターにまた会いたいとのことで、来年の長期休暇に再度カナダへ行く計画を立てられています。

彼女の話によると、学生時代に当社から短期留学した学生で他にも航空会社でキャビンアテンダントをしている方がいるとのことでした。

最近、昔お世話させていただいた学生がよくオフィスに来られます。私は出張も多いため、毎回みんなに会えないので年末に忘年会を企画し、その際に一度に集まってもらおうと考えています。たぶん想像できないような楽しい体験談がきけるのではと期待しています。つづく

初めての海外出張(7) 1986年8月2009年11月18日 02時08分54秒

ニューヨークの訪問を終え、電車でコネチカット州ブリッジポートへむかいました。ブリッジポートの駅に着くとELSブリッジポート校のディレクターが迎えにきてくれていました。すぐにホテルへチェックインしたあと、ディレクターの家に夕食に誘われました。1戸建ての家の2階のベランダでご主人がバーベキューの準備をして迎えてくれました。大きなビーフステーキをいただきましたが、食事の前に出された日本の「柿の種」が印象的でした。どんな会話をしたのかほとんど覚えていませんが、「柿の種」を食べながら日本のことについて話したことを記憶にしています。この話を帰国後、会社の上司(会長)に話をしたところ、ELSの社長を自宅に迎えたとき、同じ様に「柿の種」を食べながら談笑したことがある、とのことでした。 翌日ブリッジポート大学のキャンパス内に併設されているELSブリッジポート校を訪問し、ビデオ撮影を行いました。ここのELSに留学している日本人はまじめそうな方ばかりでした。インタビューをしましたが、大学近隣に遊びに行くところもなく、平日は勉強ばかりしているそうで、週末にマンハッタンやボストンに出かける程度とのことでした。その後大学近隣のショッピングセンターやゴルフ場を見て回りました。撮影が終わると、コネチカットリムジンというシャトルバスでニューヨークの空港(ケネディ空港かラガーディア空港かどちらか定かではありません)へ移動し、サンフランシスコへと向かいました。約5時間のフライトでしたが、東海岸から西海岸へのフライトの為、ずーっと太陽を追いかけるルートとなり、いつまでも太陽が沈まない長いフライトでした。 つづく

23才で海外事業部部長になったバレエダンサー2009年11月17日 11時15分32秒

彼が師事したMs. Edra Tohh

11月11日、8年前にアメリカの高校留学のお手伝いをさせてもらった元学生が当社を訪問してくれました。最初にあった時は中学生。アメリカの高校に留学したいとのことで、東海岸にあるボーディングスクールへの手続きをしました。その高校の入学条件は、9月の入学時までに英語力を付けてくること。最初にカナダの高校で英語研修を受講してもらい、その後アメリカのサンタバーバラのELSランゲージセンター(当時はカリフォルニア州立大学サンタバーバラ校内にありました)で英語研修を受講し、その後アメリカの高校に入学しました。私は、彼がカナダの高校で研修を始めた時、そしてサンタバーバラ校に移って大人の生徒と一緒に英語研修を受講しているときに訪問し、それぞれの担当者に会い、9月までに入学に必要な英語力がつけれるか様子を尋ねてきました。彼がアメリカの高校に入学してからも2回学校訪問をして、留学生活が順調に進んでいるのを確認しました。その後彼は、アメリカの高校を卒業し、アメリカの大学へ進学し一昨年無事卒業して帰国してきました。まだ23才ですが、先端技術を扱う会社(偶然にも11日のTVニュースで彼の会社の事業が報道されていました)の海外事業部長として働いているとのこと。また今週後半からロシアに出張するとのことでした。私は、彼の留学のお世話をさせてもらったことに感謝しました。 さらに驚かされたことには、彼はもともとスポーツ万能でしたが、大学に入ってからはクラッシックバレエを本格的に始め、学生時代はヨーロッパのいろいろなバレエスクール(オランダの国立バレエスクールなど)でレッスンを受けてきたとのこと。私も彼が留学している間にバレリーナの留学のお世話をするようになり、多くのスクール(アメリカ、カナダが中心ですが)を訪問してきました。奇遇というか、彼がバレエを始めたと同じころ、私はバレエダンサーのお世話をする仕事を始めていました。

私が中学生の頃、テレビで「プロスパイ」(後日「スパイのライセンス」というタイトルに変更)というアメリカのテレビドラマが放映されていました。アメリカの映画俳優、ロバートワグナー(声優はジェットストリームで有名だった城達也さん)が演じる主人公「アレックスマンディー」はプロのテニスプレーヤーでありながら、スパイとして世界中を飛び回るといったストーリーでした。 23才の彼が、この若さでダンサーとして世界中を飛び回り、これからいろいろなビジネスに挑戦していくことを想像すると、まんざらテレビドラマは作り事ばかりではないな、と思います。私もよく海外へ行きますが(今年は北米に7回、12月にはシンガポールとカナダへ出張の予定)、留学エージェントの私の仕事は、留学生や教育委員会の先生、ホームステイコーディネーターとのミーティングなど、とても地味なものです。

これまで27年間、留学斡旋の仕事をしてきましたが不思議なことがいっぱいあります。これからもこのブログで紹介できればと思います。 つづく

初めての海外出張(6) 1986年8月2009年11月16日 22時38分33秒

フィラデルフィア駅をアムトラックで出発して約2時間弱でニューヨーク、マンハッタンに到着しました。駅の構内でELSワグナーカレッジのディレクター、ポールジャレルさんが待っていました。 彼の第1印象は、ちばてつやさんの漫画のキャラクターそっくりでした。とても愛嬌のある表情で私を出迎えてくれました。すぐに宿泊先、確か日本人が経営する「北野屋」に荷物を運び、すぐにELSがあるスタテンアイランドに地下鉄とフェリーを使って行きました。ポールさんはその当時ソーホーに住んでいて、毎日、この地下鉄とフェリーで通っているとのことでした。スタテンアイランドにあるワグナーカレッジに到着するとすぐに学生寮に案内されました。高層階の部屋に通されると、窓から北の方角に、ちょうどマンハッタンが一望でき、フェリー乗り場のあるバッテリーパークの後ろに、今はなき世界貿易センタービル、北西の方角には、エリスアイランドの自由の女神を見渡すことができました。この学生寮からは世界のビジネスのメッカ、マンハッタンが一望できました。 学生寮を見学した後、カフェテリアで食事をとり、その後午後の授業のビデオ撮影を行いました。上級レベルのプレゼンテーションの授業を見学させてもらいましたが、日本人も含め、とてもまじめな学生が多く、真剣に討議していたことを今も覚えています。 学内の撮影後、ポールさんとスチューデントアドバイザーにジョンさんと一緒に学外のレストランに夕食に行きました。とても繁盛しているレストランで、注文をしてすぐにロールがもってこられましたが、注文した食事が運ばれてくるまでに1時間位またされました。その間、ポールさんとジョンさんの会話を聞いていましたが、話題は芸術的なことばかりで、さすがニューヨークのソーホーに住んでいる人達の会話は違うな、と関心しました。

食事が終わったあと、一人でフェリーとタクシーを乗り継いでホテルまで戻りました。途中好奇心がわき、いろいろなところでビデオ撮影をしました。

翌日、ポールさんが終日マンハッタン観光につきあってくれました。世界貿易センタービル、エンパイアステートビル、ロックフェラーセンター、セントラルパーク、タイムズスクェアなど、いろいろな場所を見学しました。

あれから何度かニューヨーク(マンハッタン)を訪れましたが、ポールさんに最初に案内してもらった場所をいつも思い出します。去年、今年、2回ユースグランプリのニューヨークファイナルの時期にニューヨークを訪れましたが、早朝セントラルパークをジョギングしていると、ポールさんにつれていってもらった最初の訪問の時を思い出します。

今回の出張は20都市、まだ5つ目が終わったところ。この後、電車でコネチカット州ブリッジポートに向かいました。 つづく

カナダ留学フェア 2009年11月2日、3日2009年11月11日 03時17分30秒

カルガリー市教育委員会のブース

先週11月1日から4日まで、カナダ大使館の留学フェアに参加する為に上京していました。 今回は70校以上の学校関係者がカナダから来日され、カナダ大使館もこのイベントのPRに力を入れていました。私は10月30日に大阪で行われたこの留学フェアに中学2年生の学生を連れて行きいろいろな学校の案内を聞き、11月2日、3日は、東京のカナダ大使館でカルガリー市教育委員会のブースでお手伝いをさせていただきました。大阪の会場には300人位来場者があったとのことで、とても盛況だったと思いました。 東京の大使館でのフェアは、同じ様にたくさんの来場者があったようですが、70校以上の学校が参加されていたのでそれほど多くの方がこられたようには思えませんでした。しかし、カルガリー市教育委員会のブースでは真剣にカナダ留学を検討している中学生、高校生がたくさん来られました。私の会社では現在8名の中高生がカルガリーに留学中です。カルガリーというとカナディアンロッキーの麓で有名なバンフから1時間の距離にありますが、現在は100万人都市でグレーターバンクーバー(バンクーバー市およびその周辺)の人口と同じくらいです。オイル産業が中新ですが、北米のカーボーイのメッカとしても有名です。 私はこれまでに18回訪問したことがあります。先月も学生5人を連れ学校見学に行きました。毎年8月はサマースクールの引率で約3週間カルガリーに滞在していますが、とても住みやすい町です。カナダの大自然が隣接するカルガリーは大都市でありながらとてもクリーンな雰囲気の町で、たいへん過ごしやすいところです。効率の中等教育のレベルもカナダではトッププラスです。留学先としては、お勧めの場所です。 カナダへ留学を予定されている方はぜひカルガリー市を検討してみてください。

初めての海外出張(5) 1986年7月2009年11月11日 02時54分03秒

ワシントン,D.C.を出発し、日が暮れてからフィラデルフィア空港に到着しました。ELSフィラデルフィア校のディレクターが出迎えに来てくれていましたが、残念ながら空港で会うことができませんでした。タクシーでホテルまで移動しようと待っていると、ベストウェスタンホテルの出迎えバスが来たので急いで乗り込むと、私が滞在するベストウェスタンではなく、空港に隣接するベストウェスタン行きでした。間違ったホテルに到着したあと、タクシーで目的のホテルへ移動。到着時間が遅かった為、食事もとらず就寝。翌朝は、ディレクターがホテルまで迎えに来てくれ、早速学校の見学(ビデオ撮り)を始めました。ここのELSはセントジョセフ大学のキャンパス内にあり、まずは学生寮から見学することになりました。学生寮は2人部屋以外に4人部屋があり、現地の大学生と一緒に滞在することもあるそうでした。大学内の撮影、そしてELSに留学中の学生の撮影も行いました。このセンターには日本の一流企業から派遣されているビジネスマンも多く、熱心に勉強している方が多かったのを今も覚えています。昨日訪問したワシントン,D.C.にはアラブ諸国の学生が多かったのとは対象で、中南米、ヨーロッパ、アジアの学生と、人種はさまざまでした。ディレクターと一緒に学外で昼食を済ませると、夕方に学内でパーティがあるとのこと。ちょうどELS創立25周年を記念してのパーティも兼ねているとのことで参加させていただくことにしました。最初パーティは創立25周年を祝う堅苦しさがありましたが、すぐに雰囲気が明るくなり、あとは学生ののりで、大変楽しいものでした。パーティの最中も私はビデオと写真の撮影で忙しくしていましたが特に中南米の学生がパーティをリードしていたのが印象的でした。

翌朝、ホテルをチェックアウトし、ディレクターにアムトラックのフィラデルフィア駅まで送ってもらいました。この駅は確かハリソンフォードの映画「刑事ジョンブック」の最初のシーンで、駅構内が舞台になったところだったと思います。 フィラデルフィア駅を出て、ニューヨークに向かうまでの車窓からは、アメリカらしい景色(いろいろな工場や古いビル群)を見ることができました。 つづく

子象いりますか?2009年11月10日 00時15分57秒

11月2日、2日は東京のカナダ大使館で「カナダ留学フェア」でカルガリー市教育委員会のブースでお手伝いをしました。現在当社から8名の中高生が留学していることもあり、留学希望者と現地からの担当者の通訳をしました。フェア終了後、当社で留学のお手伝いをさせていただいた2名の元留学生と一緒に有楽町に食事に行きました。 1名は私が18年前アメリカのサクラメントに駐在しているときに実施したホームステイプログラムに兄弟で参加した生徒の友人。彼は当社の手配でアメリカ、ニューヨークにあるELSランゲージセンターで語学留学したあと、大学院でMBAを取得、2年前に帰国し東京で人材派遣の会社に就職。この1年で4階級昇進し、現在は部下が100人以上いるとのことです。今月ボストンで行われるキャリアフォーラムに参加し、優秀な日本人留学生を募集してくるとのことでした。彼が留学中にニューヨークに会いに行ったことがありますが、毎日授業の予習とプレゼンテーション、ディベートの準備で猛勉強をしていました。 もう1名は京都の大学に在籍中にカナダ、バンクーバーとカリフォルニア、サンタモニカに留学していただきました。彼女は現在日系航空会社でキャビンアテンダントとして海外を飛び回っているとのことでした。前日も日帰りでフィリピンに行ってきたとのことでした。彼女のリクエストで焼き肉レストランに行きましたが、彼女はカナダに留学するまでは肉はたべれなかったとのことです。私が、バンクーバーに出張した際、彼女を含め何人かの学生と一緒にシーフードレストランに出かけた際、ウェイターの薦めでビーフステーキを食べてから肉好きになったようです。日本ではできないことでも海外ではできることがあると、このときにもわかりました。 3人で食事をしていると彼女が、タイ人のキャビンアテンダントは、礼儀正しく、裕福な家庭の出身者が多いとのことでした。先日「自宅で子象が生まれたのでもらってください」といわれたとか。日本人でこんなプレゼント、誰がもらいますか。 海外では日本の常識では想像できないことがいっぱいあります。